ムラサキ草
紫根染はムラサキ、茜染はアカネという植物の根からとった染料で染めあげたもので、日本に古くから伝わる草木染です。南部地方に伝わったのは鎌倉時代以前といわれ、南部藩政時代には、藩の手厚い保護の下に生産されていましたが、明治の時代になりその保護が解かれてからは、盛岡地方には、伝統技法を伝える人が完全に途絶えてしまいました。
しかし、大正5(1916)年に、紫根染を復興させるため県の主唱により紫根染の研究が始まり、秋田県の花輪地方にかろうじて残っていた技術者を招いてその技術を学び、更に独自の技法を開発、その後大正7(1918)年「南部紫根染研究所」が設けられ、草紫堂初代藤田謙が主任技師として赴任いたしました。
昭和8(1933)年、南部紫根染所究所の主任技師であった先代藤田謙が独立し、現在の地に「草紫堂」を創業、いままでの素朴な図柄(大枡、小枡、立涌)に加え、数多くの新しいデザインを生み出し、現在の絞り染の基礎を築き上げました。
近年、染料となる根の入手が以前より難しくなったこと等から、風合、特徴、堅牢度を失わないよう、工夫された化学的方法も取り入れ、更に高度な絞り技法の開発と、その技術者の養成に力を注ぎ、現在では「南部しぼり」として内外に高い評価を得ております。手絞りによる微妙に異なる染めムラの美しさと、年を経るごとに一段と味わいが出てくる色の変化も特徴と魅力のひとつになっております。
ここでは、紫根染の歴史、および草紫堂の歴史に関する資料を掲載いたします。
〔I〕上村六郎著 『日本上代染草考』 東京大岡山書店刊
元来盛岡は、昔から紫草の有名な産地であった。故事類苑に引用された、諸問屋再興調寛政8辰年8月15日の文書を見ると、其の中に「奥州南部より出候紫根を山紫根と唱え云々」と記してあり、更に東京附近にて出た紫根については、「地廻り近在にて作出し候を里紫根と唱え云々」と記している。現在紫根染をやっている家は、全国を通じて僅かに数軒しかないのであるが、その中最も盛にやっているのは、盛岡の糸治紫草園である。同家の南部紫根染解説書には次のような記述がある。
『岩手むらさき』ノ名、鎌倉時代己ニ天下ニ周知セラレタル事、当時ノ文書ニ明ラカナリ。300年前、南部公盛岡治城以来、国産トシテ特ニ之ガ保護奨励ニ力ヲ盡サレタルニヨリ、終ニ南部紫ヲ以テ称セラル。糸治紫草園ハ藩政時代ヨリ国産トシテ『本紫根絞染』・『本茜絞染』等ノ制作維持ニ努メ来リシガ、更ニ其研究奨励ノ為メ、大正5年11月『南部紫根染研究所』ヲ設立シテ益々優良品ノ製出ニ努力シ、以テ今日ニ現存セリ。
上村六郎『日本上代染草考』大岡山書店出版,1934年,p.155
「糸屋」、重要文化財 旧中村家住宅
盛岡市中央公民館、上の橋より2本上流の、国道4号線にかかる東大橋のたもとにあります。ここは、藩政時代の藩主・南部重信(1664~1691)の時代、城内で用いる薬草を栽培していた「御薬園」でした。その後藩校が設置され、明治41(1908)年には南部家別邸として生まれ変わり、戦後には盛岡市の管理となって盛岡市、南部氏の歴史や重要文化財を保存してくれています。
ここの入口左側に、旧中村家住宅、という古い建物が保存されています。この建物が、藩政時代に南部藩の保護を受け、南部紫根染を一手に商っていた老舗「糸屋」の建物を移築したものです。
南部紫根染研究所は、県の主唱により、糸治の中村治兵衛氏が開設したもので、草紫堂初代 藤田謙が主任技師として赴任いたしました。
この旧中村家住宅の説明を盛岡市中央公民館パンフレットより引用させていただきます。
中村家は、「糸屋」または「糸治」と呼ばれた城下町盛岡でも指折りの大きな商家で、呉服・古着などを主に商っていました。
初代は、岩手県の宮守村の出身で天明2年(1782)から盛岡で商売をはじめ、二代目のときから「糸屋」を称するようになりました。その後、盛岡藩の特産である紫根染を一手に商うなどして発展しました。
建物は、たびたび改修が行なわれましたが、現在の主屋は文久元年(1861)に造られたものです。また、土蔵は明治期の建築ですが、主屋と機能的にも景観のうえからも切り離せないものとして、同時に重要文化財に指定されました。
建物は、二階が発達していたり、戸棚や押入れが多く造られるなど、江戸時代末期の特色がよく残されています。増改築の多い商家が原形を留めている例は極めて珍しく、この建物も重要文化財の商家としては、東北では数少ないものの一つです。
盛岡市では、昭和46年(1971)に元の所有者である中村七三氏から建物とともに文献や家具などの寄贈を受けて、文化庁に調査を依頼、同年12月に重要文化財の指定を受けました。移築復元工事は、昭和47年4月から49年3月にかけて行われ、防災工事も同時に行われました。
旧所在地 盛岡市南大通二丁目8番5号(旧町名は新穀町) 管理者 盛岡市教育委員会
【盛岡市中央公民館パンフレットより引用】